ブログ主について

田舎で満願寺教會という小さい祈祷道場で一か月に七日間、「歓喜天浴油」という加持祈祷をしています。また、整体の仕事もしています。整体のお仕事歴は今年で32年ですから、加持祈祷(約20年)より遥かに長くやって来た事になります。

学生時代、ヨーガやらインド音楽に興味があったせいで、同年代の方々の多くがきちんと学校を卒業し、就職し、結婚し、真面目に人生設計に勤しんでおられるなか、私は数年インドでぶらぶらしたり、音楽の才能なんか全然ないのにシタールを弾いて遊んでいた訳ですから、今になっても日本の社会常識は疎く、ITスキルなんてほゞゼロなわけで、若い人には笑われるでしょうね。

私は半ば意図的に、半ば何も考えずにそんな道を歩んで来て、果たしてそうした生き方が正解であったかは分からないけど、私達にはそれぞれ、そのヒトに固有の「自性(じしょう)」というものがあると思うのです。ここで言う「自性」は一般に言う「気質」とか「生まれ持った性格」と捉えて下さい。

平安時代真言宗宗祖・弘法大師空海が唐から請來した膨大な密教経典の中に、『宿曜經』というものがあります。そこに「二十八宿」といって、生年月日からカテゴライズされる固有のヒトの気質が二十八種類説かれています。お経に書かれている計算法と日本の口伝による計算法では「宿」の出し方が違うのですが、後者で計算すると私は「柳宿」で、「眠そうな目をしている」と書いてあります。実際に「いつも眠そうだね」と言われる事があります。こういう外見は対人関係にプラスにはならないので損をしているなぁと思います。

続いて「瞋(いか)りを嗜(この)み、人を欺くに伏せず」、つまり怒る事が楽しいから怒るという奇妙な性格で、更に他人を欺いても全然悪びれるそぶりがない、なんて最早完全な悪人気質として書かれています。流石にここまで自分が変態悪人ではないと思いたいですが、人生を振り返って思い当たる節が全くない訳ではないのがつらい所です。

さて、密教の教えは私のように「悪人気質」を持った人間でも、大日如来曼荼羅の中に入る事が出来た時、何かしら肯定的な意味や働きに変容する事を教え、勧めている、そのように理解しています。