2025-11-01から1ヶ月間の記事一覧
神仏への信心だけではなく、他者を信じ、たいせつに思うこころというのも、私たちが調子のいいときと、地獄のような苦境に立たされているときとではちがった様相を呈してくるんじゃないでしょうか。ひとが苦境にあるとき、身体をはげしい痛みがさいなむとき…
あるとき、仏陀が弟子たちと山に登られたことがありました。すると向こうに見える山に火事が起こっていて、弟子たちがおどろいていると、仏陀はこうかたりました(※1)。「比丘たちよ、きみたちは山だけが燃えていると思うのですか。そうではなくて、一切が…
言語の世界、つまり意味の世界に生きているいじょう、そのなかでどんなに頭脳明晰で世知にたけておられる人も、ナーガールジュナ(※1)が指摘するいみでの誤謬のなかに埋没し、その幻の中に生きているといえます。そこで、誤謬をはなれた、じゅんすいな真理…
今回は、たぶん多くの人にどうでもよくて、かつめんどくさいテーマであります。カイコが糸をはいて自分の回りにだんだん繭(マユ)をつくっていくように、今般の私も雑文を書き続けているうちに、せまい閉鎖的な思考のわくに囲いこまれたような気がしてきて…
ちまたに仏の教えを「哲学だ」という人がおられます。なかには「合理的、科学的思考だ」と解釈して称賛する人も結構おられますね。じっさいは、そうでもあり、それいがいでもあるといえるひろがりとふかさを持っているのが仏教の全体なのですが、そのなかで…
菩提をもとめる心、菩提心(ボダイシン)こそ仏教のエッセンス、はじまりであり、おわりであります。菩提をもとめ、菩提心をおこすこと=「発菩提心(ホツボダイシン)」は、この世界で最も不可思議な現象であるともいえます。ひとりの人間が菩提心をおこせ…
先の記事で、仏教の祈りにはある種の覚悟、菩提心(ボダイシン)がひつよう、というお話をさせていただきました。この「菩提心」という一語には、じつに仏教の核心、ある意味、仏教のすべてがその一語に集約されていると言っても過言ではないものでして、私…
祈祷をたんに「祈り」と言い換えても別に構わないのだろうか?と考えてみました。言葉の意味としては、とくだん変わらないように思うのですが、文脈によってニュアンスが変わってくるともいえます。ひろく仏教を背景したもの、神道を背景にしたもの、あるい…