2025-01-01から1年間の記事一覧
のろい、と聞くと、わが邦においては「丑の刻参り」が、その代表的なイメージであります。私は小学生のころ、つのだじろう氏の『恐怖新聞』で、女の人が白装束を着て、頭にゴトクを逆さにはめてそこにローソクの火をともし、五寸釘とワラ人形をもった描写を…
アビダルマの論者(※1)が説くところでは、世界の始まりは虚空(コクウ)であったといいます。ただただひろく、さいげんのない空間、すなわち物質とその運動を妨げることのない虚空のなかに〈微風〉が吹き始めます。この微風をおこす力を「サットヴァ・カル…
カルマ(karma)という語は、インドという地域性をこえて、もはや世界共通語のひとつになったといってもよいと思います。この言葉の原義は「行為」であります。ただ、その言葉の意味は、単なる行為、actionという意味だけではなくて、主体によってなされた行…
先の記事 ( アングリマーラのお話 - 満願寺教會ブログ )で、おそるべき元山賊に仏陀がかたりかけた言葉にこういうものーーー「忍べ、婆羅門(バラモン)よ」ーーーがありました(※)。 このお経、すなわち『アングリマーラ経』の文脈では、アングリマーラ…
神仏への信心だけではなく、他者を信じ、たいせつに思うこころというのも、私たちが調子のいいときと、地獄のような苦境に立たされているときとではちがった様相を呈してくるんじゃないでしょうか。ひとが苦境にあるとき、身体をはげしい痛みがさいなむとき…
あるとき、仏陀が弟子たちと山に登られたことがありました。すると向こうに見える山に火事が起こっていて、弟子たちがおどろいていると、仏陀はこうかたりました(※1)。「比丘たちよ、きみたちは山だけが燃えていると思うのですか。そうではなくて、一切が…
言語の世界、つまり意味の世界に生きているいじょう、そのなかでどんなに頭脳明晰で世知にたけておられる人も、ナーガールジュナ(※1)が指摘するいみでの誤謬のなかに埋没し、その幻の中に生きているといえます。そこで、誤謬をはなれた、じゅんすいな真理…
今回は、たぶん多くの人にどうでもよくて、かつめんどくさいテーマであります。カイコが糸をはいて自分の回りにだんだん繭(マユ)をつくっていくように、今般の私も雑文を書き続けているうちに、せまい閉鎖的な思考のわくに囲いこまれたような気がしてきて…
ちまたに仏の教えを「哲学だ」という人がおられます。なかには「合理的、科学的思考だ」と解釈して称賛する人も結構おられますね。じっさいは、そうでもあり、それいがいでもあるといえるひろがりとふかさを持っているのが仏教の全体なのですが、そのなかで…
菩提をもとめる心、菩提心(ボダイシン)こそ仏教のエッセンス、はじまりであり、おわりであります。菩提をもとめ、菩提心をおこすこと=「発菩提心(ホツボダイシン)」は、この世界で最も不可思議な現象であるともいえます。ひとりの人間が菩提心をおこせ…
先の記事で、仏教の祈りにはある種の覚悟、菩提心(ボダイシン)がひつよう、というお話をさせていただきました。この「菩提心」という一語には、じつに仏教の核心、ある意味、仏教のすべてがその一語に集約されていると言っても過言ではないものでして、私…
祈祷をたんに「祈り」と言い換えても別に構わないのだろうか?と考えてみました。言葉の意味としては、とくだん変わらないように思うのですが、文脈によってニュアンスが変わってくるともいえます。ひろく仏教を背景したもの、神道を背景にしたもの、あるい…
祈祷師、あるいは民間陰陽師というのは、いっぱんの宗教職能者にくらべ、ある種どくとくな立ち位置にある/あったと思われます。いま仮に、私たちのふつうの生活、社会共同体のなかで、言葉であらわすことができ、誰でも共有しやすい宗教的言説を、さしあたっ…
都会から遠くはなれた雪国の寒村でそだったこともあり、私の幼少時、昭和40年代はまだいろいろな民間の加持祈祷師、霊媒師、まじない師などが活動する民間信仰がのこっていました。彼/彼女らは何らかの教団に属する方もいらしたでしょうし、家伝の信仰形態を…
仏教の文脈で真言(シンゴン)を、明(ミョウ)ともいい、陀羅尼(ダラニ)ともいい、神咒(シンジュ)ともいいます。それらは、如来や菩薩や神々のこころの内をそのまま表した秘密語といいます。皆さんがよくご存じの、玄奘三蔵さまが訳された『般若心経』…
先のお話で、仏陀を仏陀たらしめるものは、卓越した智慧、すなわち「明」である、というお話でした。「明るいこと」という意味ですから、「暗いこと」≒無明と対義語になります。原始仏典の仏陀ご自身のことばから、明というのは具体的に三つあったようで、こ…
菩提樹のしたでゴータマ・シッダールタが悟られたのは「縁起の法」だといわれています。じっさいのところ、この縁起の法は、時代の変遷、社会変化と共にいろんな解釈と実践の意義が加わっていったと考えられています。そのお話はたいへん専門的な領域なので…
仏教では、通常の私たちの認識は、その根底においてつねに根源的な誤解をまぬがれないといいます。この根源的な誤解がある限り、ひとは生まれ、老、病、死を経験する、というのが仏陀がこの世界にあらわにした教えの土台であると考えられています。おそらく…
私は輪廻(リンネ)というものがあるにちがいない、という思考を自分の人生の土台にしています。輪廻というのは文字通り「輪のごとく廻る、回転する」という意味で、あらゆる現象が過去とおんなじようなことをなぞり続け、永遠に繰りかえしてしまう[ように…
仏教の世界において、人間とはいったいどういう存在なんでしょう。調べてみると、巷の言説にはいろいろな言い方があるようなんですね。たとえば煩悩だらけで阿弥陀佛の本願にすがる以外ぜったいに救われない存在とか、はんたいに自発的に菩薩として生きよう…
「戒」は、仏陀が生きとし生けるものの倖せの為に開かれた大道であります。 戒は授戒作法という儀式をとおし、授かることによってはじめて「その人の戒」になる、と言われるのですが、では一体、何を授け、何を受け取るののか、という疑問が生じてきます。戒…
気質というのは、認識対象に対する固有の反応の仕方だと言い換えられると思います。たとえば、私は宿曜でみると柳宿で、そのかたちは「蛇の如し」とあるので、認識の対象に対して毒のある歯で噛みつき、からみつき、丸呑みにし、片や何もしていなければとぐ…
先の記事で、仏教経典としての宿曜の命理は何のためにあるんだろうか考えてみました。何のために、というより、いったいそれを知って何をするのか、ということなんですね。そこで、『宿曜經』であれこれ示されている各人の気質は、自分の心の深い動き方のパ…
ヒトは持って生まれた気質というものがどうやらあるらしく、それがモノやコトのありのまま、そしてほんとうの自分、自己を見たい、理解したいと思う時でもそれを歪め、妨げる強力なフィルターになってしまう。そういうことを先ず、すべての始まりとして考え…
読める範囲で色んなお経を読んでみて思うのは、仏陀という御方は、みんな少しづつ違う個別の苦に向かい合って、相手にぴったりと合った最適な答えを常にお答えになった、ということです。仏陀の在り方は、現代のカウンセリングによく似ておりまして、カウン…
むかし大学一年生の授業で講師がお話しました。「仏教の文脈で〈苦〉というのは、思い通りに行かない事です。」 確か英訳の般若心経を読む授業でした。 当時、若い頃の「苦しみ」と考えていたのは、専攻のサンスクリット語はおろか英語すら苦手で授業にうん…
『宿曜經』では、ヒトの先天的な気質を28種類に分けて説いています(その他、生まれた曜日=七曜による分類もありますが、ここでは割愛)。先の記事では、あるヒトがあるヒトとして、同一性を保っているように見える気質に対し、「自性(ジショウ)」という…
田舎で満願寺教會という小さい祈祷道場で一か月に七日間、「歓喜天浴油」という加持祈祷をしています。また、整体の仕事もしています。整体のお仕事歴は今年で32年ですから、加持祈祷(約20年)より遥かに長くやって来た事になります。学生時代、ヨーガやら…
こんにちは。文章を書くのが大変苦手なのですが、昨今、坊さんなのに何も発信しないのは宜しくないと思い立ち、感じる事をたまに書いてみようと思います。とはいえ、他の方々のように面白い文章、誰かにお役に立つ情報なんて書けるのか不安でもあります。宜…