続 瞑想のお話

先に私は「瞑想という行為一般」についてすこし皮肉めいたことを書いてしまいましたが、実は私じしん、ちまたで「瞑想法」の範疇に含まれるいとなみにはだいぶ長い歳月関わった者でして、酔狂にも人生のほゞ大半を使いました。じっさいに師に就いたもの、単…

瞑想のお話

私が中学一年生の時、二十代後半の女性の先生が担任になりました。その先生からは国語や書道を主に教わりました。かつて剣道もされていたそうで、なかなかに鋭い眼力と、かなり大きな声がでる先生でした。この先生は授業の始まりに、背骨を真っ直ぐ、閉目す…

八寒地獄 

今年は大雪で、多くの人が亡くなりました。当地は日本有数の豪雪地帯で、20年ちかく住んでみて今更ながらいろいろ考え込んでしまうことがあります。 いま私が住んでいる家は、祖母が存命時に建てた古いものでして、私が大学で上京して以来、関東での生活にく…

続 天道のおはなし 

先のお話(天道のおはなし - 満願寺教會ブログ)では、天道、つまり神々の住む世界に人が生まれ変わったら、あるいはその世界に生きている生き物に、どんなことが最終的に起こるか、というものでした。重複となりますが、天道に生まれかわった人は、五感をと…

天道のおはなし

仏教では、輪廻する生き物の〈存在のあり方〉を六つに分けて、六道(ロクドウ/リクドウ)(※1)といいますね。 生き物の六種類の存在のあり方=六道のなかで一番きついのが地獄道で、恵心僧都源信(※2)の『往生要集』を読むと、細かい描写がなされています…

「夢のおはなし」改め「現実を夢の文法にそって読む試み」

いつ買ったのか分からないくらい昔、東京の古本屋でみつけてながく放置していた本がありました。ふと思い出して読みはじめたところ、面白くて何と5回も読みかえしたのが、『夢の読み方 夢の文法』(川嵜克哲著 講談社+α新書 2000年)でした。私は幼少時から…

呪術のおはなし

先般は「のろい」について書いてみましたが、今回は「呪術」についてすこしお話してみようと思います。 呪術とその思考は、人類の文化の始まりと同時発生といってもよく、私たちが恰も真理のごとく掲げる自然科学の看板もまた、もとをたどれば呪術的思考が原…

ゴースト

サブカルの世界では「ニワカ」という言葉があって、素人や初心者が表層的なコメントをする人のことを言うらしいですね。 いま、「ゴースト(幽霊)」というタイトルを掲げたのは、士郎正宗さん原作のアニメ『攻殻機動隊』にでてくる概念ーーー人間を脳と脊髄…

結縁のおはなし 

天和三年(1683年)三月の旧暦二十一日、讃岐の国、高松において浄厳和尚(ジョウゴンオショウ※1)を大阿闍梨とする結縁灌頂(ケチエンカンヂョウ※2)が興行せられたことがありました。 そこに、伊予の国(今の愛媛県)から一人の男が入壇しました。その男は…

こころとからだ

十年ほどまえ、師のお薦めで私は他宗様のカウンセリング講習会に通っておりました。そこでは「ファミリー・コンステレーション」(※1)と呼ばれる、かなり大掛かりな心理療法の実習をしており、おどろくべき結果を私は目の当たりにしました。プライバシーを…

のろいのお話

のろい、と聞くと、わが邦においては「丑の刻参り」が、その代表的なイメージであります。私は小学生のころ、つのだじろう氏の『恐怖新聞』で、女の人が白装束を着て、頭にゴトクを逆さにはめてそこにローソクの火をともし、五寸釘とワラ人形をもった描写を…

サットヴァ・カルマン  有情の業

アビダルマの論者(※1)が説くところでは、世界の始まりは虚空(コクウ)であったといいます。ただただひろく、さいげんのない空間、すなわち物質とその運動を妨げることのない虚空のなかに〈微風〉が吹き始めます。この微風をおこす力を「サットヴァ・カル…

カルマ

カルマ(karma)という語は、インドという地域性をこえて、もはや世界共通語のひとつになったといってもよいと思います。この言葉の原義は「行為」であります。ただ、その言葉の意味は、単なる行為、actionという意味だけではなくて、主体によってなされた行…

「忍ぶ」とはなんだろう

先の記事 ( アングリマーラのお話 - 満願寺教會ブログ )で、おそるべき元山賊に仏陀がかたりかけた言葉にこういうものーーー「忍べ、婆羅門(バラモン)よ」ーーーがありました(※)。 このお経、すなわち『アングリマーラ経』の文脈では、アングリマーラ…

アングリマーラのお話

神仏への信心だけではなく、他者を信じ、たいせつに思うこころというのも、私たちが調子のいいときと、地獄のような苦境に立たされているときとではちがった様相を呈してくるんじゃないでしょうか。ひとが苦境にあるとき、身体をはげしい痛みがさいなむとき…

一切が燃えている

あるとき、仏陀が弟子たちと山に登られたことがありました。すると向こうに見える山に火事が起こっていて、弟子たちがおどろいていると、仏陀はこうかたりました(※1)。「比丘たちよ、きみたちは山だけが燃えていると思うのですか。そうではなくて、一切が…

真実と方便

言語の世界、つまり意味の世界に生きているいじょう、そのなかでどんなに頭脳明晰で世知にたけておられる人も、ナーガールジュナ(※1)が指摘するいみでの誤謬のなかに埋没し、その幻の中に生きているといえます。そこで、誤謬をはなれた、じゅんすいな真理…

「ただしい」仏教とはなんだろう

今回は、たぶん多くの人にどうでもよくて、かつめんどくさいテーマであります。カイコが糸をはいて自分の回りにだんだん繭(マユ)をつくっていくように、今般の私も雑文を書き続けているうちに、せまい閉鎖的な思考のわくに囲いこまれたような気がしてきて…

わたしはなぜ中観を理解できないのか

ちまたに仏の教えを「哲学だ」という人がおられます。なかには「合理的、科学的思考だ」と解釈して称賛する人も結構おられますね。じっさいは、そうでもあり、それいがいでもあるといえるひろがりとふかさを持っているのが仏教の全体なのですが、そのなかで…

仏教的なこころの変容 

菩提をもとめる心、菩提心(ボダイシン)こそ仏教のエッセンス、はじまりであり、おわりであります。菩提をもとめ、菩提心をおこすこと=「発菩提心(ホツボダイシン)」は、この世界で最も不可思議な現象であるともいえます。ひとりの人間が菩提心をおこせ…

菩提心のこと

先の記事で、仏教の祈りにはある種の覚悟、菩提心(ボダイシン)がひつよう、というお話をさせていただきました。この「菩提心」という一語には、じつに仏教の核心、ある意味、仏教のすべてがその一語に集約されていると言っても過言ではないものでして、私…

祈りと祈祷

祈祷をたんに「祈り」と言い換えても別に構わないのだろうか?と考えてみました。言葉の意味としては、とくだん変わらないように思うのですが、文脈によってニュアンスが変わってくるともいえます。ひろく仏教を背景したもの、神道を背景にしたもの、あるい…

祈祷師  周縁的な存在としての

祈祷師、あるいは民間陰陽師というのは、いっぱんの宗教職能者にくらべ、ある種どくとくな立ち位置にある/あったと思われます。いま仮に、私たちのふつうの生活、社会共同体のなかで、言葉であらわすことができ、誰でも共有しやすい宗教的言説を、さしあたっ…

私の祈祷師のイメージ

都会から遠くはなれた雪国の寒村でそだったこともあり、私の幼少時、昭和40年代はまだいろいろな民間の加持祈祷師、霊媒師、まじない師などが活動する民間信仰がのこっていました。彼/彼女らは何らかの教団に属する方もいらしたでしょうし、家伝の信仰形態を…

真言

仏教の文脈で真言(シンゴン)を、明(ミョウ)ともいい、陀羅尼(ダラニ)ともいい、神咒(シンジュ)ともいいます。それらは、如来や菩薩や神々のこころの内をそのまま表した秘密語といいます。皆さんがよくご存じの、玄奘三蔵さまが訳された『般若心経』…

先のお話で、仏陀を仏陀たらしめるものは、卓越した智慧、すなわち「明」である、というお話でした。「明るいこと」という意味ですから、「暗いこと」≒無明と対義語になります。原始仏典の仏陀ご自身のことばから、明というのは具体的に三つあったようで、こ…

すべてがつながりあっています。

菩提樹のしたでゴータマ・シッダールタが悟られたのは「縁起の法」だといわれています。じっさいのところ、この縁起の法は、時代の変遷、社会変化と共にいろんな解釈と実践の意義が加わっていったと考えられています。そのお話はたいへん専門的な領域なので…

無明

仏教では、通常の私たちの認識は、その根底においてつねに根源的な誤解をまぬがれないといいます。この根源的な誤解がある限り、ひとは生まれ、老、病、死を経験する、というのが仏陀がこの世界にあらわにした教えの土台であると考えられています。おそらく…

輪廻

私は輪廻(リンネ)というものがあるにちがいない、という思考を自分の人生の土台にしています。輪廻というのは文字通り「輪のごとく廻る、回転する」という意味で、あらゆる現象が過去とおんなじようなことをなぞり続け、永遠に繰りかえしてしまう[ように…

人間とはなにか

仏教の世界において、人間とはいったいどういう存在なんでしょう。調べてみると、巷の言説にはいろいろな言い方があるようなんですね。たとえば煩悩だらけで阿弥陀佛の本願にすがる以外ぜったいに救われない存在とか、はんたいに自発的に菩薩として生きよう…